ヴィレッジヴァンガードは全国に350店舗以上ある複合型書店のチェーン店だ。店ごとに仕入れや陳列を担当者の裁量で決めるので、その「好み」が色濃く反映される。そんなヴィレッジヴァンガード、通称「ヴィレヴァン」でおすすめされていたコミックを3冊買ったみた。その中でも特に衝撃の強かったマンガ「マイ・ブロークン・マリコ」を紹介する。

ヴィレッジヴァンガードとは

 

 

ヴィレッジヴァンガードとは‥‥‥

マニアックCD・コミックや変わった雑貨がたくさん置いてある複合型書店。店名の由来は創業者がジャズ好きで、ニューヨークにあるジャズクラブヴィレッジ・ヴァンガード」から名付けたとか。

 

コンセプトは「遊べる本屋」。扱う商品はトレンドよりも趣味的なラインナップが多い。周りの誰も知らないけど私は好き!というコアなものを好む人や、サブカルチャー(アニメ・マンガ・特撮・パンク・アングラなどマイナー文化)を愛する人には吉野家やマックみたいなお店

 

95%の顧客に見向きされなくても、5の顧客を強烈なファンにすること」を戦略として掲げている。街の書店のように出版社主体の仕入れではなく、店舗ごとに担当者が自ら仕入れるので、置いてある商品に担当者の「好み」が色濃く出る。問われる「センス」。つまり、お前の好きな「マンガ」を言ってみろ。お前がどんな人間か当ててやる。といった感じ、ワクワクするお店だ。  

【公式サイト】https://www.village-v.co.jp/

 

コミック担当者オススメの棚。今回は全く読んだことのない漫画を前情報なしで購入してみた。

マイ・ブロークン・マリコとは

 

 

掲載誌

WEBマンガ誌COMIC BRIDGE」1巻完結(全4話)

キャッチコピーは< 恋より熱いなにか。女性が読む青年誌 

【公式サイト】https://comic-walker.com/comicbridge/

作者 平庫ワカ(ひらこ・わか)
受賞歴

 TV ブロス「コミックアワード2020大賞
このマンガがすごい2021 オンナ編 4位

 

1行あらすじダチの遺骨を抱いて行く追憶の旅

 

キャッチコピー:女同士の魂の結びつきを描く、鮮烈なロマンシスストーリー』

ロマンシス」……男たちの命を懸けた友情ブロマンスに対をなす言葉。ロマンス(愛)+シスターフッド(関係性)を組み合わせた言葉。個人的には<女同士の命より重い友情>と解釈している。

「エスケープ」─あんたを連れていく

「あんたを刺し違えてでも連れていく」

突然の友人の訃報を聞いて、あなたがとるべき行動はなんだろうか?追いつかない感情をそのままに「ご愁傷さまです」と言ってお線香をあげに行く──そうそれが正しい。しかし、この物語の主人公「シイノ」は包丁を振り回し、友人の遺骨を奪って逃げた。それが「ダチの死」というどうしようもない行き止まりから始まる第一話「エスケープ」

 

主人公「シイノ」。26歳のOL、先週も親友のマリコと会っていたが……

 

見つけた瞬間「理性」がぶっ飛び「衝動」のままにマリコの遺骨をとびつくシイノ。

 

狂人だ、「シイノ」の行動は狂っている。意味がわからない!と評する他の人の感想をみるとハッとする。「私も同じことする…」と彼女の言動を全肯定している自分がいることに気づかされる。確かに、常識に照らし合わせれば、彼女の行動は狂っているし間違っている。解っている…けど、それでも、私がシイノの言動を我がことのように感じてしまうのはなぜか。この物語に流れる巨大な、言葉にならない、「感情」に私がすでに飲み込まれているためだろう。こういうのを何というのだろうか?「友情」では軽くて、「愛情」と呼ぶには複雑で、衝動的で常に流れているマグマのような熱い何か‥‥。

 

 

父親からの性暴力、それを実の母親からも責めらるマリコ。「私が悪い」からだと……

 

虐待、幼少期から父親の暴力を受けてきたマリコの描写は痛々しい。シイノの思い出の中の彼女は必ずどこかに生々しい傷を負っている。そしてそれは見える部分だけでは無く、修復できない大きなヒビとなって「」に刻まれている。それは後々の人生にも暗い影を落とす致命的な傷となる。ブロークンハート(壊れた心)は大人になってもずっとそのままだ。アメリカの児童心理学者の言葉に次のようなものがる。

「子どもは乾いていないセメントのようなもの。落ちてくるものはみんな痕跡を残す。」

 

家庭内暴力は依存症の1つだという。自分の意思ではどうしようもできない病気。マリコの親父がマリコの遺骨を取り返そうとする描写があるのだが、そこには娘への「執着」がある。虐待しておいてどの口でぬかすのかと怒りが湧いて来るが、娘の遺影に涙を落とす親父の姿は悪人とは言えず、ただただ「弱さ」がみてとれる。その弱さを娘への暴力行為という形で発散させていたのだから、擁護はできないが……。お酒や薬、ギャンブルと同じように依存症を治療する最善の策は「距離」をとること。DVを受けているのなら警察や第三者の注意で終わらせるのではなく、児童相談所やDV相談所などの保護施設に駆け込むことだ。マリコは親父と離れるべきだった。愛情があっても暴力は振るえるし、そういった人は気の持ちようなどではなく「病気」なのだから──。

 

マリコ親父の再婚相手タムラさん。彼女がもっと早くこの家庭に介入して入れば、あるいは…

 

遺骨を奪って逃走したシイノ。「刺し違えてでもこの遺骨は私が連れて行く!」とタンカを切る彼女はガタガタと震えていた。そんなことをすればどうなるか、彼女はちゃんとわかっていたからだ。通報されるし、今までの生活を捨てることになる──それでも実行した。カバンに包丁を忍ばせマリコの実家を訪ねた時、内心のビビリを隠すように早口でテンパっている彼女には親近感が湧いた。そして、衝動的にマリコの遺骨に飛びつく姿には「共感」しかない。狂ってると言われようが、私はこう言いたい。「シイノ、お前の行動はダチ公として圧倒的に正しい」と。

 

1話はこちらから無料で読めます。

https://comic-walker.com/contents/detail/KDCW_CB01201022010000_68/

 

「レッツ・ゴー・ハワイ」─あんたを抱いてはいけない

「あんたの骨を抱いてあたしはハワイに行けないよ」

手紙をかくのが女子の間で流行っていた学生時代、女の子たちはどんなやりとりをしていたのか‥。
シイノの回想に出て来るマリコの手紙を読むとなぜか「」が出てくる。かわいらしい文字にイラスト、それを書く本人の生々しい傷跡、そしてその彼女には今はもう会えないのだと思うと、「未来」とか「希望とかそんな明るいキラキラしたものが根こそぎなくなって真っ暗に閉ざされた気分になる。

 

初めての出会いは屋上で。ヤニを吹かすシイノと殴られ傷だらけのマリコの邂逅──。

 

海に行こうとマリコを誘った学生時代。彼女の行動は父親に制限され自由はなかった。

 

大人になって自由になった。2人で行きたいな、海へ──そう約束していた……

 

 

あんたはどこへ行きたい…?骨になったあんたを抱えて、ハワイなんかにはいけない、行く気力も出ない。

 

約束の何が悲しいかって、約束した相手がもうこの世のどこにもいないのに、「それ」を覚えていることだ。果たせなかったことより、それを思い出して今更どうしようもないと悟った時が一番キツい。ごめんと謝ることも、今からやろう、と話すこともできない。何も、返って来ないのがツラい。だけど、約束だから、大切な思い出だから叶えてやりたい、そう思うのだろう。

ダチの骨を抱えていつかの約束を果たすためシイノは夜行バスに乗る。その心象風景があまりにも切なくて大きなため息がでてしまう。こういうのを「エモい」とか「尊い」というのだろうけど、そこには取り戻せない「未来」があって、シイノはこの先も、ずっと「後悔」し続けるんだろうな、と感じてしまい幸せと悲しみが交互に来てツラい。

 

 

「リメンバー・ミー」─あんたにはあたしがいた

「あんたには、あたしが、いたでしょうが!」

依存(いぞん)、マリコはシイノに依存していた。メンヘラなどと言えば言葉は軽くなるが、現実の重さはしっかりと認識しなけらばならない。下手こけば、それはどちらも潰れてしまう致命的な関係性だからだ。マリコの親父がDVという依存症だった影響か、マリコもまた、シイノという親友を試さずにはいられない依存症だったのだと思う。

 

 

何かない日などない……毎日が苦しい。それを支えてくれる存在があって、だけど、それを失くす不安でまた苦しくて。

 

妄想か回想か、シイノはマリコとの会話を何度も振り返る。心に刻み付ける。綺麗な思い出だけじゃない、マリコの「めんどくささ」も全部含めて──忘れないように。

 

自殺、れたから自殺したのではない、マリコは既に壊れていた。タイトルのようにマイ・ブロークン・マリコ(私の壊れたマリコ)だった。高校生になるとマリコのシイノへの依存はどんどんひどくなっていく。社会人になって父親から自由になったはずの彼女だが、目に見える傷はなくても、その「心」はずっとひび割れてボロボロで、幸せとか自信とか生きていく上で大切なものが「こぼれ落ちて」いたんじゃないだろうか?

もし、マリコの自殺が確信犯だったのならそれは彼女にとって大切な人の中に刻まれる私という幸せな結末といえるのではないか?なんて考えてしまう…衝動的な行動だとしてもそれは避けられない未来だったと思う。底の抜けた花瓶にいくら水をやっても一時しのぎにしかならないからだ。

 

 

 

 

捨てられる前に自分から捨ててしまう。嫌われるぐらいなら、この世からいなくなってしまおう、そんな心理を彼女はいつも抱えていたのではないか?そんな「壊れた自分」を自覚していたマリコはシイノとの「友情」を試さずにいられなかった。そんな風に思う。

 

 

 

「フリーフォール」─あんたを止められない

「あんたが落ちていくのを私は止められない」

 

 

一緒に死んでくれ、は破滅的で、最高に心高ぶるプロポーズだと思っている。マリコがそれを言いたかったのかはわからないが、シイノはそれぐらいの気持ちでいた。けれど、マリコには届かなかった。シイノ曰く、「どんなに心配して見せても、どうにもならないところにあの子はいた──」

自分を大事にしろ!」という言葉は、その「自分」がない人間には響かない。大事にする自分自身に価値がない、私が悪いんだと思わされてきたマリコに正論は「」でしかない。

 

 

 

西尾維新(にしおいしん)という小説家が作品のあとがきにこんなことを言っている。

「異常者でも幸せになる物語が書きたい。アブノーマルを直してノーマルになるのではなく、正しくないまま幸せになる。異常なままでも幸せになることができるんだって証明したい」

 

うろ覚えだが、概ねこんな感じの言葉だったと思う。マリコはシイノに「お前が悪いんだ」と責めて欲しかった。それが彼女にとって“普通”だったから。だけど、シイノは「あんたは何も悪くない」と言う。西尾先生の言葉を借りれば、マリコはぶっ壊れたままでも幸せにはなれたはずだ。正しくなくても、悪くても、メンヘラでも、シイノがそばにいれば、「あんたは悪くない」と、その言葉をずっと言い聞かせてやれば、あるいは……なんて今更だが、思わずにはいられない。

 

 

 

最後のシーン、痴漢に追われる女学生とマリコの姿が重なり、思わずまた「衝動的な行動」に出るシイノ。ページをめくる前に彼女がとる行動が、私には手に取るようにはわかった。私もそうするはずだから。その結果、「自由落下」していくマリコとシイノ。その先がどうなるかは単行本を読んで確認してほしい。胸にグッとくるラストが待っている。

 

 

 

エスケープ先で出会い、お金をくれたお兄さん。彼がいてくれたのもこの物語の「救い」となっている。

 

決着はつけねばならない。それがどんな結果であれ、人生に起きる何かしらの不条理や理不尽な出来事に対して、時には「衝動的な行動」で区切りをつけることも必要だ。他の人から見れば、狂っていても、バカらしいことでも、そうしないと前に進めない。それを経て、また日常に戻っていくのだ。

振り返って見ればこの物語は「マリコの死にシイノが決着をつける」話だったとも言える。まぁ、それでも、「後悔」は続いていくのだろうけど……とにかく、次には進める。そうやって、私たちも生きていくのだろう。

 

 

未来にはこんなシーンがあったかもしれない、そんな心温まる絵を雑誌「Tv.ブロス」2020年12月号の表紙で披露してくれているのでここに紹介したい。こちらには平庫ワカ先生のインタビューも載っているのでよければぜひ。

 

 

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